キャリアカウンセラーの双子のママ。やりたい仕事に巡り合うまでのキャリアの軌跡とは? (山田恵理さん・前編)

キャリアカウンセラーの資格を持ち、双子の育児に奮闘中の山田恵理さん。会社員を経てスペイン留学。自分のやりたい事で転職をしながら天職に巡り合うまでのストーリーを前編・後編に分けて伺います。今回は前編です。

 

 ―はじめに、ご主人の転勤で秋田へお引越されて、転勤でまた東京へ戻ってきたばかりと伺いました。双子のお子さんの今の子育てはどのような状況でしょうか?保育園には入れましたか?

 

東京から転勤で秋田に2年間の滞在を経て、この4月からまた東京に戻ってきたばかりですが、引っ越してからはワンオペ状態になっています。

 

子どもは2歳9か月になります。秋田では私も働いていたので認可保育園に預けられてよかったのですが、東京では保活も難航しました。

 

ようやく認可外保育園に入れましたが、自宅からも遠くて。毎日慣れない道を車で送り迎えしているので時間もかかり、子どもも緊張があるようでなかなか新しい保育園に慣れないし行きたがらない状況です。子どもたちがなかなか保育園に慣れない私の不安な気持ちが伝わっているのかとも思えて、まだまだ平常の生活とはいえないですね。

 

―お仕事の方はいかがでしょうか?転職につぐ転職になりますね。

 

キャリアカウンセラーの業務はオンラインでもできるんですよ。今日の午前中もオンラインで前の職場の関連でスクールのキャリアカウンセラーをやっていた時の受講生のプレゼンに参加してきました。今は、キャリアカウンセラーとしての働き方を検討しているところです。

 

―ご自分で働き方を選べるお仕事ということですね。では少し話が遡りますが、恵理さんのキャリアスタート時のお話をお聞かせください。

 

氷河期で苦労しましたが、新卒で総合リース会社に一般職で入社しました。リース会社に入社したきっかけは、人事の採用担当者の方がとても素敵な方で。入社後も、その方の印象は変わらず憧れの存在で、ロールモデルでした。初めに配属されたのが財務部で短期収支や月中資金ポジション管理等を行っていました。苦手な数字を扱う仕事に興味が持てず、人とかかわる仕事がしたいと思うようになり、3年で仕事を一通り覚えたら辞めると決意して予定通り退職しました。

 

―苦労して入社したリース会社で、ロールモデルの先輩もいらっしゃったのに退職したいと思われたのはなぜですか?

 

自分が一般職で入ったことに納得がいかなかったんです。一般職は、総合職の中で声を上げて発言できる立場ではなく、自分が主体になって仕事も出来ない環境だったので。ここでキャリアをつくっていくことはできないんじゃないかと、二年目くらいで思ったんです。新卒で入った会社で自分は何をしているのだろう。もっと主体的に働いてみたかったと。それから、リースという分野も財務の仕事も興味のあるものではなかったんですね。退職後は、以前から憧れだったスペインに留学しました。

 

―スペインにはその留学で初めて行かれたのでしょうか。

 

初めてスペインに行ったのは小学校2年生のときです。スペインに親戚もいて、一ヶ月間短期留学していたこともありました。でも、全くスペイン語の素養もなく、英語も片言だったんです。退職してからの留学は本当に苦労の2年間でしたが、サラマンカ大学のインターナショナルコースを無事に修了できました。ここまで必死になって何かを得たというのは初めての経験で、その後の自分の自信にもつながりました。

 

 

―インターナショナルスクールは、キャリアを考えた上での選択ですか?

スペイン語を学ぶことを目的に行きました。一年目で、スペイン語を学習して、二年目は海外の留学生のクラスに変更し、いろんな国のクラスメートと一緒にスペインの文化を学びました。生活も、一年目は学生寮でしたが、二年目は、あえてスペイン人の友達と三人でシェアルームで生活し、日本人のいない環境の中で過ごしました。この二年間で適応力を学びました。はじめはスペイン語を習得して現地で仕事をしたいと思っていましたが、暮らしていた街が学生の多い街で、定住する街ではなかったのです。学びを終えたら自国に帰国する人が多い中、私もやっぱり日本で仕事したいと考えるようになりました。

 

―恵理さんが新しい環境に柔軟なのは、その留学での苦労があったからなのですね。ご帰国されてからはどんなお仕事をされたのですか。

 

スペイン語を学んできたことで今度は主体的に働けると思い、外務省の南米課で事務補助の仕事をすることにしました。でも、周りは外交官や自分よりもスペイン語ができる方がたくさんいて、自分は事務の補助でアルバイトのような仕事でした。スペイン語に触れられるとは言いつつも、もっと責任感のある仕事をしなければと思い、1年も経たずに大学職員へ転職しました。

 

ー恵理さんのお話を伺っていると、主体的に働きたいというお気持ちの強さが感じられます。大学職員では、どのようなお仕事をされたのですか。

 

留学経験を生かして、留学生の受け入れなどを行う仕事ができればと思っていましたが、配属されたのは人事課でした。でも、これが私の転機となりました。そして、この大学には総合職として、女性でも活躍できる環境がありました。仕事というのはこういうものだったのだ!と初めて感じて、いくらでも仕事ができました。仕事内容は多岐にわたり、給与、労務のほか大学特有の入試業務なども。中でも特に採用、研修の仕事は、自分自身も成長できるやりがいのある仕事で、生涯人に関わる仕事をしていきたいなとこの時に強く思いました。

 

―やりたい仕事にたどり着いたのですね。

 

新卒のときに漠然と思っていたことが色んな出会いと経験を経て、形になったんだと思います。そのときに知ったのがキャリアカウンセラーです。勉強してすぐに資格を取りました。大学に身を置いていたので当初は若年層のキャリア支援に興味があり、大学のキャリアサポートセンターで働くようなイメージを持っていました。でも、この大学の人事の仕事で辛かったのが、システムもマニュアルもない組織で、トップダウンでものが決まってしまう組織だったことです。それから、当時の職場は土日早朝出勤等もあり、子育てをしながら働くイメージがどうしてもできませんでした。また、ワーママというロールモデルもおらず、子供が欲しかった私は退職することを決めました。

 

―女性の働き方で、妊娠・出産は大きな転機になりますが、恵理さんは妊娠される前にまた新たな環境にチェンジされた。決断が早いですね。

 

もっと自分のライフスタイルに理解のある別の大学で、非常勤として働くことにしました。妊活をしながら、キャリアカウンセラーの資格も取得できました。そして、この大学勤務時に妊娠・出産し、育児休暇を取得している間に、夫の転勤で秋田行きが決まったのです。

 

 

この続きは「後編」に続きます。

 

 

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