保育業界のイノベーター「ポピンズ」社長の「育児と仕事」にまつわる原体験 (轟麻衣子さん・前編)

  保育業界をリードする「ポピンズ」の社長に2018年4月に就任された轟麻衣子さん。2児の母として、働く女性として、凛としたポリシーを貫いている姿が多くの女性の心を打ちます。そのポリシーが育まれた生い立ちを探っていきます。

 

今回は前編です。

 

 

 ―まず、麻衣子さんの生い立ちについてお聞かせください。12歳から海外に留学なさったと聞いています。これはとても珍しいことだと思いますが、なぜそのような決断をされたのでしょうか?

 

私は3歳までは母と一緒に、それ以降は母とともに祖父母の家で過ごしました。起業し仕事が多忙な母と密な時間を過ごすのは主に週末。その後12歳からイギリスに単身留学しましたから、一般的な家族とは少し違い、生い立ちは変わっているかもしれないですね。

 

留学については、小学校を卒業する頃、母が私に2つの選択肢を示したのです。1つがそのまま日本の中学校への進学、もう一つがイギリスの寄宿舎学校への留学でした。寄宿舎の緑に囲まれたお城のような美しい写真を見た私は、心を奪われました。「他人とは違うことをしてみたい」という思いもあり、単身イギリスに向かいました。

 

 

―12歳で単身留学ですか。寂しかったり、辛いことはなかったのでしょうか?

 

英語が全く理解できず、イギリスの現地校でただ一人海外から来ているという境遇で、ホームシックになったことも多々ありました。他の子どもたちが寝静まった寮の真夜中に、母に国際電話で弱音を吐いたことも。母はそのたびに「いつでも帰って来ていいからね」と言ってくれました。

でも母のその言葉のおかげで、私はイギリスに踏みとどまることができたのです。ある時は、辛かった時、母は一晩の滞在でも飛んでイギリスまで来てくれました。「私には、いつでも帰ることができる場所がある」という安心感と、母の強い愛情を感じました。

 

―それはとてもすごいことですね。離れていても、愛情を感じていたのですね。

 

ええ。母がいつもそばにいなくとも、私は、誰よりも母、そして家族から愛されて育ったと思います。

 

特に祖父は、私が12歳で渡英してから大学を卒業するまでの約10年間、海外で根なし草にならないようにと、毎週欠かさず新聞の切り抜きを送ってくれました。脳梗塞で倒れるまで、それは続きました。そのような家族の強い愛情の基盤があったからこそ、私は異国でも孤独と思うことなく、過ごすことができたのではと思います。

 

―このご経験が、現在の育児や家族のあり方、そして仕事にも活きているのでしょうか?

 

ええ。そう思います。私の人生の軸は“家族”ですが、これは幼少期からずっと家族が向き合ってくれたことで培ってきたものだと思っています。

 

私には二人の子供がいますが、母になった今、「母が子どもに与える愛情は、一緒にいる“時間”で測られるものでは決して無い」と思っています。自分なりの子どもへの愛情の注ぎ方が一番大切。

 

また、仕事で言えば、ポピンズが提供する保育・介護サービスは全て「家族」が軸になっているのです。

 

―なるほど。それは大変心に響くメッセージですね。家族との関わり方、愛情が、現在の麻衣子さんを形作っているのですね。それでは、少しキャリアの面もお聞かせください。この春、ポピンズをお母様(創業者の中村紀子氏)から引き継ぎ、社長となられましたが、それ以前はどのようなキャリアを歩んできたのでしょうか。

 

ポピンズは私の母が築いてきた会社ですから、私が後を継ぐことが約束されたように思われる方も多いと思います。しかし私は、以前はポピンズに入ることなど全く考えたことが無かったのです。長らく海外で生活していたこともあり「私は母とは違う道を歩く」と思っていましたし、母からも後継ぎの相談をされたことはありませんでした。
 

私は12歳からイギリスで過ごし、そのまま現地の大学に入学。でも就職活動の時はやりたいことが漠然としていました。

 

 

—麻衣子さんでも「やりたいことが漠然としていた」ということがあったのですね。

 

そうですね(笑)ですので、まずは「一流」と呼ばれる企業で仕事をしようと思い、米系投資銀行のメリルリンチに入社します。男性中心の職場で、その当時は紅一点でした。仕事は充実していましたが、金融自体にはあまり興味を持てずにいました。

 

その後、私はもっと情熱を燃やせるものを求めて、シャネルに転職、パリ本社や日本法人での勤務も経験します。更にINSEADというビジネススクールで学び、グラフやデビアスといったラグジュアリーブランドでも働きました。

 

 

—仕事を続けていく中で、大変だったことがあればぜひお教えください。

 

キャリアを積む中で結婚、出産をします。そこで「子育てとキャリアの両立」という壁が立ちはだかりました。そして今思い返せば、育児休暇期間中に“産後うつ”になってしまっていたような気がします。「まさか私が・・・」と呆然としました。社会復帰を望んでも思うように動けない苦しみや、ものすごい孤独感に耐える日々・・・また、第二子出産後、当時1歳半くらいだった長男が“赤ちゃん返り”。保育園への登園拒否、やがて言葉がうまく話せないように。職場復帰を延ばさざるを得なくなりました。

 

更に、祖父が脳梗塞で倒れて。その後、祖父と同じく私を大切に育ててくれた祖母に今度は癌が発覚し入院します。私は仕事を辞め、祖母の介護に専念することにしました。でもその介護の現場で、色々と理不尽な経験もしました。

 

ー国際的で華やかなキャリアの裏には、そのような辛い体験もされていたのですね。そのような辛い時期をどう乗り越えたのでしょうか。

 

長男に関しては、国内外の専門家を探し、解決策が見出せず、絶望感に浸った時期もありました。ようやくこれはという方を海外で見つけ、親がセラピストになるという処方で、専門家の先生よりスカイプで私がセラピーを受けては、それを私自身が長男に施す作業を1年半続け、長男が3歳半になる頃には安定してきたのです。

私が今働いているポピンズでは、現在も何千人というお子さまをお預かりしていますが、中には発達の不安定なお子さまもいらっしゃいます。でも私は、自分でそのような経験を経たからこそ、保護者さまや弊社の保育士などに様々な選択肢のアドバイスができるようになりました。家庭での辛かった経験を、仕事に活かすことができていると感じます。

また、私自身が、介護や育児の壁に苦しんだことで「私にも何かできることはないだろうか?」と考えました。そこであらためて、母が築き上げたポピンズの存在に気がついたのです。

女性であれば自分の人生の節目で、個人的な体験とキャリアとのつながりを考える時が来ると思います。当事者として携わった育児や介護に残る諸問題を解決するために、私がこれまで積み上げてきたキャリアを活かすべきではないか– そう思い、ポピンズに入社することを決意し、今に至ります。

 

この続きは「後編」に続きます。 

 

  

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