思いどおりに進まなかった人生を実りあるものに替えた逆転の発想術とは? (畑さち子さん・前編)

現在は“次世代の女性を応援するメンター・コーチ”として活躍中の畑さち子さん。結婚を機に海外含め様々な場所での生活を体験。インタビュー前編では、それらの経験から、やがて“人に寄り添い伴走する”という自分の生き方を見つけるまでを辿ります。

 

 

 ー 畑さんが今に至るキャリアの入り口は、航空会社でしたね。

 

日系航空会社に地上職として入社しました。当時(昭和50年代半ばごろ)は4年制大学卒の女性を敬遠して採用を控えていた企業が多く、選択肢が限られていました。航空は女性にも門戸が開かれていた数少ない分野で、中でも国際線を運航していたその会社は、子供の頃から海外への憧れを強く抱いていた私の目に“世界への窓”のように映ったのです。職場環境はとても良く、女性にも管理職に昇進するチャンスが与えられていました。ただし女性は転勤が叶わない配置しかありませんでした。

 

ー その後は配偶者の転勤で全国を移動したのですか?

 

今なら夫と別居して支店勤務を続けるという選択肢も考えられたと思いますが、当時はまだ“女性は結婚したら退職して家庭に入る”ことが、その会社だけでなく社会全体として当たり前の風潮。なので私も当然のように退社して夫と暮らすことを選びました。

 

でもあまり残念な気持ちはありませんでしたね。時代の空気に流され、あまり深く考えずに行動したのだと思います。その後も夫の転勤が続き、17年間で実に7回の転勤・引っ越しをしました。

 

ー 度重なる転勤帯同で困惑することはなかったのですか?

 

夫の仕事では本来、転勤はそれほど無いはずだったので、かなり困惑しました。そんな状況下で出産もしたし、個人的な活動もしました。夫も私のやりたいことを応援してくれました。しかしやがて来る転勤の辞令・・・単身赴任の選択肢もありましたが、子どもも小さかったので、結局は毎回一家で引っ越し。ある場所で咲いていた花が抜かれて、いきなり別の知らない場所に植え付けられ「ここでまた頑張って根を張ってくださいね」と言われているような感覚でした。被害者になったような気分に陥ったこともありましたが、夫と行動を共にする選択をしたのは私です。それに気づき「ならば自分はこの状況でどうするか」を模索するようになりました。

 

ー さらに、海外生活で、なぜ日本語教師という仕事に行き着いたのですか?

 

一時期オーストラリアに移ったのですが、その直前まで関西でママネットワークを作ったり、書籍の出版などに携わっていました。仲間たちとの活動はとても楽しく、最高に充実した日々を送っていました。

 

そんなふうに積み上げてきたものが、また引っ越し(それもオーストラリア!)によってゼロに戻る気がして、心底がっかりしたのです。とはいえ、始まってみると海外生活は楽しいものでした。でもふと「ここで私は何ができるのだろう」と考え、ビザや言語の問題に阻まれて単純労働すらできない自分と向き合わされたのです。

 

自分には何があり、何ができるか - 窮地に追い込まれて気づいたのは、当たり前のことかもしれませんが“日本語力”。それを活かせる仕事は、オーストラリア人向けの日本語教師だけだと考え、資格取得に向けて勉強を始めました。

 

“教える”という仕事は経験したことがありませんでした。でも実際に仕事に就いてからは、楽しくて没頭しましたね。教えることで大事なのは、知識を持っていることだけでなく、「どう接すれば人はやる気を出すか」を考えることだと気づいたのです。

 

生徒さんたちは各々異なる目標を持っており、私は彼ら一人一人と“二人三脚で進んでいく”、つまり彼らに寄り添い伴走していくことが私の役目だと気づきました。その役目を果たして彼らが目標を達成するのを見る、その楽しさに生まれて初めて気づいたのです。

 

ー その後、 “コーチング”という仕事に出会うわけですね。

 

帰国後「私は日本語を教えたいのだろうか?頑張っている人を応援したいのだろうか?」と自問自答しました。そこで“頑張っている人に伴走したい”と気づいたのです。


そこでたまたま“コーチング”という言葉を見つけました。

 

コーチになってからは無料のセッションを、多くの人を相手に繰り返し「話すことで楽になった」「コーチングしてもらって良かった」などの評判を得て、ようやく仕事が入るようになりました。

 

ー 畑さんの人生は“自分の意思とは関係なくたどり着いた場所で「何ができるか?」を常に考えてきた”のですね。

 

私の人生に、具体的に目標を定め、それに向かって邁進するような場面はあまりありませんでした。しかし決して受動的だったわけでなく、常にアンテナを立て、自分が与えられた環境とスキルの中で何ができるかを考えてきた。そうやって今の私が存在します。

 

コーチとして船出した私は、新たな流れに身を任せるうちに、やがて“メンタリング”に出会うことになるのです。

 

続きは後編

Share on Facebook
Share on Twitter
Please reload

最新記事
Please reload

アーカイブ
Please reload

タグから検索
Please reload

ソーシャルメディア
  • Facebook Basic Square
  • Twitter Basic Square
  • Google+ Basic Square
This site was designed with the
.com
website builder. Create your website today.
Start Now