辛い、思い通りにいかない。そんな経験を前向きな力に変えるには。

 

  • ​現在の状況

「子どもを心から望む女性が、みんな母になれる社会をつくる」をカンパニービジョンとして2016年後半に会社を創業。不妊女性を応援するサービス事業で、WEBメディア「UMU (http://umumedia.jp)」の運営、研修・講演事業を行っており、現在2期目に入っています。今春にはスマートフォンアプリ「GoPRE(http://lifecircus.jp/gopre)」をリリースします。起業のドタバタの最中で妊娠、そのまま怒涛のように臨月まで働き、産後は4ヶ月過ぎから復帰しています。

 

教育業界で働く夫は子どもを研究対象にしていることもあり、私の復帰前後から3ヶ月間の育休を取得。そのお陰で体の回復具合とも相談しながら、就業時間を長くすることができました。

 

会社のメンバーとは元々ウェブ会議を中心としたリモート運営をしてきたので、産後3ヶ月目にはウェブミーティングに復帰。初めは聞くことに徹して、徐々に実務にソフトランディングしていきました。

 

保育園入園前の現在は、夫が週5日のうち3日は託児付きシェアオフィスで子連れで勤務するという働き方をしています。残り2日を私が担当。その2日間は、在宅で仕事したり、一時保育に預けたり、実母に泊まりがけで来てもらったりと、ケースバイで対応しています。日常の育児ルーティンは、とくに夫婦で明確な決め事はないものの、ほぼ半々くらいの分担に落ち着きました。二人とも残務を持ち帰る事が多いため、Googleカレンダーを共有し、事前にメッセンジャーで調整しながらお互いに朝晩仕事を出来るようにするのが夫婦のルールになっています。

 

  • これまでの軌跡(キャリアの遍歴)

早稲田大学を卒業後、株式会社博報堂にてマーケッター、営業、人材開発、法務などを担当しました。キラキラキャリアと勘違いされることもありますが、実態としては評価もそこそこ、特段誇れるものがなかったように思います。今振り返ると、実力・努力不足を棚に上げ、恥ずかしながらプライドだけは高かった。自己効力感を満たしたいためもあってか、本業外のソーシャルプロジェクトを全体企画・統合プロデュース、コラボレーション推進などの立場で複数、掛け持ちしていました。

 

結果、そこでの経験がこの後の展開に活きてくるのですが、当時は常に「青い鳥」を探し求めていたように思います。社員に優しいとても良い会社だったので、恵まれた就業環境に甘え、不完全燃焼でアイドリング運転しているような会社員時代でした。そんな折に現実を突きつけられたのが、入社して12年目、37歳の年でした。

 

突然の病(乳がん)に倒れ休職、全プロジェクトの活動が強制終了。さらには、病気をきっかけに受診した不妊外来で、「あなたが産める可能性は10%以下でしょう」と医師から宣告されました。結婚して3年半頃で、当たり前のようにいつかは、と思っていたのに…。いきなり後頭部を殴られたかのような衝撃でした。

 

そこから、病気の術後療養に並行して、捨て身の思いで不妊治療を始めたんですね。当時は夫も仲間と創業した会社を離れるという大きな決断をした矢先で、家族みんなが憔悴していました。

 

不妊治療を始めてみて知ったのは、自身を含めた多くの不妊女性をとりまく、不条理で不都合な現実でした。見えないゴール、誰にも言えない孤独、溢れるネットの情報、多額の治療費。「どうすれば産める?」「いつまで頑張ればいい?」…。 不妊は社会全体の課題であり、少子化の根本原因の一つでもありながら、未だ助成金以外に有効な対策が打たれていません。その旗ふり役として当社が、私が、パイオニアとなろう。そう決意し、同じく不妊の当事者であるパートナーと創業、現在に至ります。

 

まさか自分に、アラフォーにして起業する未来があるとは想像もしていませんでした。闘病や不妊治療は、ぬるい日常を送ってきた自分がようやく魂を込められるテーマに踏み出すためのきっかけを与えてくれたのだと、今は思えます。けれど渦中はもう死にたい、と思うくらいのショックと絶望でした。その経験が次の道筋になったと考えると、人生って不思議なものですよね。

 

  • 困難だったこと、どう乗り越えたか

思いがけず妊娠が発覚したのが、会社設立とほぼ同じタイミングでした。そもそも自分にとっては奇跡的で、夫には「子と会社という双子を同時に育てているようなものだね」と揶揄されたくらいです。初めての会社経営、初めての妊婦生活…。子どもを授かった喜びよりむしろ、仕事もプライベートも「ままならないこと」ばかりで、ほとんどマタニティうつのような状態でした。

 

誤解を恐れずに言えば、最後まで「乗り越えられはしなかった」と思います。実際必死でしたし、急にダウンしてメンバーに迷惑をかけることも多々ありました。ただ、その「できない自分」をそのままで許してあげる、受け入れてあげるということが徐々にできるようになったことで、気持ちの置きどころができましたね。

 

育児)

生後6ヶ月で母乳を卒業したのですが、母乳育児神話にも少なからず、苦しめられました。悪意はないことがわかっていながら、友人や知人に「もうやめちゃうの?早いねー」と言われるたび、胸がチクチク痛みましたね。こちらも「乗り越えた」わけでは正直ないです。いつか「あの時もうちょっと母乳をがんばっていれば…」と思い返すこともあるかもしれない。

 

でも、こういう葛藤って完璧にはなくならないし、むしろあって当然だと思うんですよね。とくに、育児や教育のような絶対善の領域ではみんなが良かれと思うことを言い、良かれとすることをやるわけで、唯一絶対の正解、というのは多分ない。ごく一部の、医学的エビデンスによって明らかなものを除けば。なので、今の自分なりの結論としては、「俯瞰して大局から見たときに、子の生命、健全な成長にとって致命的なことでなければいったん大丈夫」と考えるようにしています。

 

  • 転職や起業、などなど、人生の決断に必要だと思う事

最終的には、ノリと勢いだと思うんです。でもその前提として、できることは全部やったと思えるところまでやりきる。この2つは常にセットです。経験上、やりきって、その先はもう直感で「えい!」と決めてしまうんです。振り返ってみても、その時の選択に納得しているし、ほぼ間違いなかったと思えています。

 

  • ポリシー、軸

もやっとする物事や感情をそのままにしない・表面的な居心地の良さに安住しない・前進し続け、変化し続ける人生を選ぶ。

 

いずれも、結婚5周年に夫婦で宣言した「5つの誓い(http://saori.naokiyamamo.to/vow)」をベースとしており、その後の人生経験を重ね毎年、進化を続けている私の軸です。

 

  • 自分の軸を見つけるために何をしてきたか

約3年前、うっすらと死を見たところから始まり、産めない可能性に直面、不妊という社会課題を知り、当事者の私がやらねば誰がやると会社をつくったら、まさかの妊娠、そして出産・育児・仕事復帰…。正直、自分が何かしてきたというより、一連の荒波に怒涛のように流された末に、ようやく気づけたという感覚です。

 

翻弄され続けた結果、一番の学びは「生きることは予定調和ではない」ということ。そしてただ一つ、「全員が必ず死ぬ」という事実だけが、圧倒的に予定調和なんですよね。だから成功も挫折も実績も後悔も、死んだらすべてゼロリセットと思ったら、少し気が楽になったんです。そうか、どうせゼロになるんだから、恥ずかしいとか失敗したらとか、悩むだけ不毛だなって。

 

  • 座右の銘

「人間万事塞翁が馬」

 

絶望と希望は常に表裏一体だと、今は思います。元々、夫の座右の銘でもあったことから、わが家の家訓になっています。ここ数年の家族の物語を振り返りながら、「永久的に理想の状況はありえないし、今そうでない状況を否定することもない。何が幸で、何が不幸かはその瞬間にはわからないから、やらない後悔よりやる後悔の方がいいし、無難な人生より濃い人生の方がいいよね」と、そんな話を夫婦でよくしています。

 

 

 

 

 

 

 

  

 

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