夢を叶えた後の突然のパートナーの闘病。子育てしながらキャリアを考え続けた日々 (櫻木友紀さん・前編)

 現在、ウィメンズキャリア メンターだけではなく、キャリアコンサルタント、キャリアコーチ、研修講師としても活躍されている櫻木友紀さん。かつて大手外資系製薬会社で管理職を務めた経験を持つ櫻木さんが、現在の仕事に就かれた経緯と背景に迫ります。今回は前編です。

 

 

 ー アメリカにいらっしゃったとのことですが、いつ頃のことですか?

 

商社マンの父に同行して渡米し、小学校4年生から高校卒業まで東海岸のニュージャージー州で育ちました。

 

当時アメリカでは、キャリア教育が盛んでした。公立学校でもキャリアカウンセラーがおり、また中学ではVocation(職業)の教科があり「この仕事に就くためにはどのような勉強をするべきか」などを考えさせられました。「あなたは何になりたいの?」「あなたは何をやりたいの?」と常に問われるような、コーチング的なコミュニケーションを通じて、私も自分のキャリアについて小さい頃から考える習慣が身に付きましたね。

 

ー その後なぜ製薬会社に入られたのでしょうか?

 

幼い頃に患っていた小児喘息の影響です。薬が常に身近にありました。その上“この薬を飲むと発作が止まる”ということの不思議さ、漢方薬の独特の匂い、まるで料理をするように薬が調合されていく様子が、幼い私にとってとてつもなく魅力的でした。

 

そんな私を見た母から言われた「そんなに実験が好きなら、薬剤師になれば?」の一言が心に響き、小学校2年生にして薬の道に進むことを決意。まだ人種間の壁が感じられたアメリカで成長するにつれ、人の病を治してくれる薬の開発は、世界中の人たちが協力し合え、どんな国の人にも喜ばれ、国境を容易に越えさせてくれる素晴らしいものだと考え“日本で薬の開発に携わり、その薬を世界中に届ける”ことを目指すようになりました。

 

そんな夢を抱いて高校卒業後に日本に帰国し、東京理科大学薬学部に入学。卒業後は日系製薬会社に入社し、欧米向け医薬品の開発に携わりました。その会社から生まれた薬を欧米各国の規制当局に承認申請するプロジェクトに関わり、入社6年目でそれが実現しました。つまり“日本発の薬を世界に届ける”という昔からの夢が叶ったということです。

 

そこで、私は燃え尽き症候群に陥ってしまいました。

 

ー 夢が叶った後に、燃え尽き症候群!?

 

ええ。思えば小学校2年生の時以来、私は薬のことしか考えてこなかったし、長年の夢を思ったより早く達成してしまったので、次の夢が思いつかなかったのかもしれません。

 

さらに周囲の人が製薬会社の人ばかりという環境だっただけに「もっと広い世界を見たい!」と思うようになりました。そこで出産前に「“人の生き死にに関わらない”、別の世界を見よう」と、製薬会社を退職して派遣会社に登録。大手電機メーカーで当時世界最大級の国際イベントに携わったり、NGOの海外スタディーツアーに参加したりと、いろいろなことをやりました。
 

しかし出産後、息子が1歳3か月の時に、旅行先で夫が脳腫瘍で突然倒れてしまったのです。

 

ー パートナーが倒れてしまったのですか?

 

小さい息子を抱えて、即時判断を要する困難な状況が次々と押し寄せてきて。でも私が出来ることは限られている。その虚しさに加えて「しっかりしなきゃ!」という思いが強すぎて、泣く余裕もありませんでした。幸い、入退院を繰り返すも、夫は10か月後には復職することが出来ました。

 

ー その経験を通じて、再び“薬の道”に戻っていったわけですね。

 

夫の看護に携わるうちに「やっぱり私は人の生命に関わることが好きなのだ」と実感したのです。夫の復職を見届け、自分も薬の道に戻ろうと思い求職活動を開始ました。

 

子供も小さく、復職したとはいえ夫にはあまり負荷はかけられない。だから残業ができないながらも薬の開発の道に戻れるような仕事を探しました。その後紆余曲折あり、結局ある外資系製薬会社で派遣社員を経て正社員になりました。この経験から「人生は何が起きるか分からない。だからリスク管理のために共働きしていた方が良い!」といろんな人に口酸っぱく言っています(笑)。

 

その後、この会社で管理職になりました。

 

ー 管理職と私生活の両立はどのような感じでしたか?大変だったことを教えてください。

 

会社が好き、仕事も楽しい、上司もチームも好き・・・趣味に「仕事」と書きたかったくらい(笑)。 そのうち、いろいろな役割を任されるようになり、会社側からの期待を強く感じるようになりました。

 

それらをバネにして頑張れた反面、“ワーキングマザーの管理職”がまだ少なかったため、私が落ち込んだり、家庭との両立で悩んだりする様子を見せてしまったら、後に続く後輩が「私が管理職なんて無理」と思ってしまうのではないか・・・そのようなプレッシャーを自分で自分にかけるようになりました。また、その頃、祖母や父が相次いで亡くなったり、夫のことなど、簡単に周囲に話せないような出来事が多発し、出口の無い悩みを多く抱える時期が続きました。

 

自宅でも仕事をしてしまい、息子にちゃんと関われていない。仕事も家族も大切すぎて、頑張って乗り越えると次の課題が出てきて・・・「私はどこまで頑張れば良いのだろう」と四方八方が塞がれたような気持ちに陥り、気が付くと歩きながら勝手にポロポロ涙が出ていることがありました。

 

今思えば、弱音を吐く時間ももったいない、それで周囲に迷惑をかけたくない、そう考えていました。自分が頑張れば良いのだと、結果的に、強がっていたのですね。

 

ー その後、キャリアコンサルタントに転身したとのことですが、そのきっかけは?

 

外資系製薬企業のあとに、規制当局で2年ほど勤務した後、退職しました。薬の世界でやりたいことはやりつくしたし、自分だからこそ出来る仕事は何だろうと考えていたのです。その頃、高校生になった息子が、学校から“将来の仕事リスト”を持ち帰ってきました。それを何気なく見ていた時にビビッときたのが、国家資格であるキャリアコンサルタントだったのです。「まずは勉強してみよう。たとえこの道に進まず、管理職として再び企業に戻ったとしても、この資格の内容は活かせるだろう」と思いました。

 

それから懸命に勉強してキャリアコンサルタントとコーチの資格を取得し、独立。キャリア面談に加えて、女性リーダーや管理職向けのキャリア研修などに携わるようになりました。それらの現場で、かつての私のような人に、たくさん出会うことになったのです。

 

続きは後編

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